社労士の業務で生成AIを使えるのは、下書きと確認の補助までです。書類を完成させる行為そのものは、社会保険労務士法が社労士に限っています[1]。
この線引きを最初に確認しておくと、事務所で何をAIに任せるかが決めやすくなります。
判断に迷う場面は、たいてい「これはAIに作らせた書類と言えるのか」という形で現れます。条文はそこを見ていません。見ているのは、報酬を得て業として作成しているのが誰かという点です。順に確認します。
独占されているのは「作成」と「提出代行」です
条文から確認します。社会保険労務士法第2条第1項は、社労士の業務を号ごとに分けています[1]。
第1号が「別表第一に掲げる労働及び社会保険に関する法令に基づいて申請書等を作成すること」、第1号の2が「申請書等について、その提出に関する手続を代わつてすること」、第1号の3が事務代理です[1]。第2号は帳簿書類の作成、第3号は相談と指導です[1]。
号 | 内容 | 社労士以外が報酬を得て行えるか |
|---|---|---|
第1号 | 申請書等の作成 | 行えない |
第1号の2 | 提出に関する手続の代行 | 行えない |
第1号の3 | 申請等の代理・事務代理 | 行えない |
第2号 | 帳簿書類の作成 | 行えない |
第3号 | 相談に応じ、指導すること | 行える |
第27条が「社会保険労務士又は社会保険労務士法人でない者は、他人の求めに応じ報酬を得て、第二条第一項第一号から第二号までに掲げる事務を業として行つてはならない」と定めています[1]。独占の対象は第1号から第2号までで、第3号の相談・指導は含まれません。
ここで実務上の結論が1つ出ます。生成AIは道具なので、社労士が使う分には何の問題もありません。問題になるのは、社労士でない事業者がAIツールを使って顧問先の申請書を作り、報酬を得る形です。事務所が生成AIを使うことと、AIツール事業者が社労士業務に参入することは、法律上まったく別の話です。
業務の41.5%が手続です。下書きが減らすのはここです
どこに時間がかかっているかを数字で見ます。
全国社会保険労務士会連合会の2024年度実態調査は、有効回収数25,408人、有効回収率56.0%の調査です[2]。受託業務の構成比は、手続業務が41.5%、相談業務が14.3%、給与計算業務が14.2%、各種規程の作成・改定が10.4%、コンサル業務が7.3%、助成金業務が4.8%となっています[2]。
1事務所あたりの契約顧問社数は平均33.2社、中央値は10.0社です[2]。従業員は「1人」が56.4%で、平均従業員総数は2.7人です[2]。顧問先10社を1人で見ている事務所が、この業界の真ん中にあります。
同じ調査で、不安やストレスの項目では「必要となる専門的知識の深さと広さ」が85.9%、「業務量の多さ」が60.8%でした[2]。5年前と比べて需要が増えたのは、相談業務71.5%、規程作成等66.2%、手続業務59.1%です[2]。
給与計算業務14.2%と規程作成10.4%も、様式と計算式が決まっている仕事です[2]。手続41.5%と合わせると、受託業務の3分の2が定型の側にあります。
この数字の並びが、生成AIの使いどころを示しています。手続業務は様式が決まっていて、同じ形の書類を繰り返し作ります。ここは下書きで時間が減る対象になります。一方で相談業務は、顧問先ごとの事情を聞き取って判断する仕事で、下書きの出番は少なくなります。
ここに事務所の戦略が入ります。手続業務の時間が減れば、その分を相談業務に回せます。需要が増えたと答えた割合は相談業務が71.5%で最も高く、手続業務の59.1%を上回っています[2]。時間が空いたときに何をするかを決めておかないと、単に受託件数を増やすだけで終わります。 顧問料の単価は上がりません。
渡してよい情報と、渡してはいけない情報
社労士が扱うのは、氏名・生年月日・マイナンバー・給与額・傷病名といった情報です。扱いを間違えると刑事罰があります。
第21条第1項は「開業社会保険労務士又は社会保険労務士法人の社員は、正当な理由がなくて、その業務に関して知り得た秘密を他に漏らし、又は盗用してはならない」と定めています[1]。第32条の2は違反者を「一年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金」に処すると規定し、この罪は告訴がなければ公訴を提起できないとしています[1]。
個人情報保護委員会は2023年6月2日に注意喚起を出しています。個人データを含むプロンプトを入力する場合、「当該生成AIサービスを提供する事業者が、当該個人データを機械学習に利用しないこと等を十分に確認すること」としています[3]。
情報 | 扱い | 理由 |
|---|---|---|
顧問先の氏名・マイナンバー・給与額 | 入力しない | 第21条の秘密に該当する |
傷病名・健康情報を含む記録 | 入力しない | 同上。要配慮個人情報でもある |
条文・通達・様式の記載要領 | 入力してよい | 公開情報で秘密に当たらない |
自事務所で作った説明文のひな形 | 入力してよい | 顧問先が特定されない形にする |
実務では、入力前に置換する手順を決めておくと運用が楽になります。氏名をA氏、会社名をB社、金額を概数に置き換えてから貼る形です。置換を面倒に感じるなら、法人向けプランの利用を検討してください。多くのサービスで、法人向けのプランは入力内容を学習に使わない既定になっています。ただし個人で契約した有料プランは、既定が逆になっていることがあります。契約の種類で扱いが変わる点は、事務所内で共有しておく必要があります。
置換の作業を誰がやるかまで決めておかないと、忙しい月に省略されます。 情報漏洩の一般的な対策は生成AIの情報漏洩対策にまとめています。
人が決める部分は法律で決まっています
AIの下書きをそのまま出せない理由は、精度の問題だけではありません。行為の主体が人に限られている手続があります。
就業規則は、常時10人以上の労働者を使用する使用者に作成と届出の義務があります[4]。作成または変更にあたっては、過半数労働組合または労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならず、届出には意見を記した書面の添付が要ります[4]。意見聴取は人が人から聴く行為です。 ここをAIが代わることはありません。
36協定も同じです。第36条第1項は、労働者の過半数を代表する者との書面による協定と行政官庁への届出を要件にしています[4]。限度時間は1か月45時間・1年360時間、特別条項でも1か月100時間未満・1年720時間を超えない範囲と定められています[4]。数字はAIに調べさせられます。どの上限で協定を結ぶかは、顧問先の繁忙期と人員体制を聞いたうえで決まります。
助成金も同じです。受託業務に占める割合は4.8%と小さいものの[2]、支給要件の当てはめを間違えると不支給になります。要件の一覧をAIに整理させるところまでは使えます。自社の顧問先が要件を満たすかどうかの判断は、支給要領の原文を読んで決めてください。
厚生労働省はモデル就業規則を公開しています。無料で使えます。2026年9月13日時点の最新版は令和7年12月版です[5]。生成AIに就業規則の条文案を出させる場合は、このモデル就業規則の版と突き合わせてください。古い版を学習した内容が出てくることがあります。条文番号までは合っているのに、追加された規程例が抜けている、という形で現れます。令和7年12月版では、国会または地方議会の議員に立候補するための休暇に関する規程例が第32条に追加され、犯罪被害者等の被害回復のための休暇の紹介も入りました[5]。差分は毎年出ます。
電子申請の義務化は2つあり、対象が違います
顧問先から「電子申請は義務なのか」と聞かれる場面が増えています。ここは2系統あり、混同されています。
1つは社会保険・労働保険の一部手続です。令和2年4月から、資本金・出資金等が1億円を超える法人等の「特定の法人」に電子申請が義務づけられました[6]。対象手続は被保険者報酬月額算定基礎届、月額変更届、賞与支払届などです[6]。中小企業はこちらの義務の対象ではありません。
もう1つは労働安全衛生法関係です。令和7年1月1日から、労働者死傷病報告の報告事項が改正され、電子申請が義務化されました[7]。総括安全衛生管理者・安全管理者・衛生管理者・産業医の選任報告、定期健康診断結果報告なども対象です[7]。こちらには規模要件がありません。ただし「パソコン端末を所持していない等の事情により電子申請が困難な場合には、当分の間、書面による報告も可能です」とされています[7]。
系統 | 開始時期 | 対象 |
|---|---|---|
社会保険・労働保険の一部手続 | 令和2年4月 | 資本金1億円超等の特定の法人 |
労働安全衛生法関係の報告 | 令和7年1月1日 | 規模要件なし(困難な場合は当分の間書面可) |
中小企業の顧問先に関係するのは後者です。この違いを説明できると、顧問先からの信頼が変わります。
生成AIにこの手の制度の質問をすると、2つを混ぜた答えが返ることがあります。「電子申請は義務化されています」という一文だけを見て顧問先に伝えると、対象でない会社に不要な作業を求めることになります。制度の範囲に関わる回答は、必ず官公庁のページで確認してから顧問先に出してください。 確認に使う時間は5分です。
事務所で最初に決める3行のルール
長いガイドラインは読まれません。3行で足ります。
- 入力の線引き: 顧問先が特定できる情報は入力しない。入力前に氏名・会社名・金額を置き換える
- 確認の担保: AIが出した条文案・数値・様式は、必ず原典と突き合わせてから顧問先に出す
- 責任の所在: 書類を完成させる判断は社労士が行う
3行とも、事務所の誰が読んでも同じ行動になる書き方にしてあります。「適切に取り扱う」「十分に配慮する」といった言い方をすると、判断が担当者ごとに変わります。
総務省・経済産業省のAI事業者ガイドラインは、AI利用者に対して個人情報の不適切入力への対策、セキュリティ対策の実施、出力結果の精度とリスクの理解を挙げています(第1.2版・2026年3月31日[8])。この3行はその内容を事務所の言葉に落としたものです。
ガイドラインを作ること自体が目的になると、運用されません。 紙1枚に3行だけ書いて事務所の壁に貼るほうが、実際には守られます。士業全体での活用と顧問先への展開は士業のAI活用にまとめています。
まとめ
試し方は1つです。手続業務の様式を1つ選んでください。記載要領を読み込ませ、架空の事例で下書きを出させ、自分が作ったものと比べます。差が出た箇所が、その様式でAIに任せられる範囲と任せられない範囲の境目です。この作業は1様式あたり30分で終わります。
顧問先の実データは使わないでください。架空の事例で十分に検証できます。検証の記録を残しておくと、職員が増えたときの教材になります。どの様式を試し、どこまで任せると決めたかを1行ずつ書き足すだけで足ります。事務所としてどこまで任せるかを決めたい場合は、AI顧問で毎週の定例を通じて一緒に決めていきます。まず現在地を確かめるなら1分でわかるAI活用度診断から、個別の相談は無料相談へお寄せください。
※条文・統計・制度の内容は2026年9月13日時点のものです。法改正と統計の更新があるため、実務での判断は最新の原典でご確認ください。
参考文献・出典
- 社会保険労務士法 — e-Gov法令検索(デジタル庁)(参照 2026-09-13)
- 2024年度 社労士実態調査 調査結果 概要 — 全国社会保険労務士会連合会(参照 2026-09-13)
- 生成AIサービスの利用に関する注意喚起等について — 個人情報保護委員会(参照 2026-09-13)
- 労働基準法 — e-Gov法令検索(デジタル庁)(参照 2026-09-13)
- モデル就業規則について — 厚生労働省(参照 2026-09-13)
- 電子申請の義務化 — 日本年金機構(参照 2026-09-13)
- 労働者死傷病報告の報告事項が改正され、電子申請が義務化されました — 厚生労働省(参照 2026-09-13)
- AI事業者ガイドライン(第1.2版)概要 — 総務省・経済産業省(参照 2026-09-13)


