AI導入の進め方は、社長が最初の1業務を決めて自分で使い、その後に社内へ広げる順番が基本です。「AI推進室を作ったが、半年経っても何も変わらない」。この相談が増えています。担当者の能力の問題ではありません。AIの導入だけは、現場から積み上げる方式が構造的に機能しにくいからです。

AI導入の進め方で最初に決めるべきは、ツールでも体制でもありません。社長自身が使うかどうかです。AIで会社が変わった事例には、例外なくトップ自身がAIを使っているという共通点があります。逆に止まっている会社では、経営層がAIを「担当者に任せる技術の話」として扱っています。

トップが使うと、会社の何が変わるのか

公開されている事例を2つ見ます。どちらも、経営者本人がAIを日常的に使っている会社です。

DeNAは、南場智子会長の号令のもと「AIネイティブカンパニー」への転換を進めています[1]。象徴的なのは、個人と組織のAI活用度を測る独自指標「DeNA AI Readiness Score(DARS)」を自社で開発し、2025年8月から本格運用を始めたことです[2]。南場会長自身も、業務効率化にとどまらず情報収集・意思決定・試作づくりにまで生成AIを使っていると語っています[1]。

クラシル(dely)は、堀江裕介CEOのもとで2025年7月30日、開発本部の全エンジニア・デザイナー・プロダクトマネージャーを対象に、月額最大10万円のAIエージェント利用料を補助する「AI First制度」を導入しました[3]。同社は「AIを活用しないことが、競争力を失うリスクになり得る」という認識のもとで全社的にAI投資を加速させているとしています[3]。

注目すべきは、施策の中身よりその施策が通った速度です。1人あたり月10万円のツール補助(2026年8月時点で公表されている水準)は、通常の稟議では通りません。AIの費用対効果を体感している経営者が決裁者だから、この規模の投資判断が下りています。ここが本質です。

止まる会社では、何が起きているのか

対照的に、AI導入プロジェクトの多くは期待した成果を十分に出せていないという指摘があります。原因は技術の側にはありません。

管理職1,008名を対象とした2026年の調査では、「職場で生成AIを使いこなせない人」として経営層を挙げた回答が26.8%にのぼりました[4]。課長・リーダー職(29.3%)に次ぐ高さです[4]。使いこなせていない層が決裁者である、という構図が数字に出ています。

実証実験(PoC)が止まる主因も、モデルの性能ではないと整理されています[5]。止まるのは、次の4つが決まらないときです。

表1 実証実験が止まる4つの未決事項

決まらないもの

現場で起きること

対象業務

「何にでも使える」まま、誰も自分の仕事に落とし込めない

社内データ

使えるデータの範囲が不明で、実験用データから先に進まない

確認工程

AIの出力を誰がどう検証するか決まらず、本番投入できない

運用責任

事故が起きたときの責任者が不在で、承認が下りない

4つとも、現場の担当者には決められません。どれも経営判断の領域です。だからAI推進室が優秀でも、経営がその4つに答えを出さない限り、プロジェクトは実証実験の手前で止まり続けます。

「セキュリティが心配」で止まる場合

もう1つ、着手前に止まるパターンがあります。「情報漏えいが心配だ」で検討が止まる形です。

心配自体は正当です。ただし止め方が問題で、「安全かどうか」を調べているうちは永遠に始まりません。決めるべきは「何を入れないか」です。人事評価、係争案件、M&A、取引先から預かった機密。この4つを外せば、残りの業務では試せます。

法人向けプランでは入力内容を学習に使わない設定が用意されていることが多いので、まずは自社が契約するプランでその扱いを確認してください。そのうえで、上の4つを対象外にします。この2手で、検討は数日で終わります。

よくある進み方(止まる型)

止まる会社の進み方は、驚くほど似ています。中小企業でよく見かける典型的な流れを、想定として並べておきます。自社に当てはまる段階があれば、そこが手を入れる場所です。

  1. 経営会議で「うちもAIをやらないと」という話が出る
  2. 情報システム担当か、比較的若手の社員が「AI推進担当」に任命される
  3. 担当者が無料版でツールを比較し、数十ページの検討資料を作る
  4. 「セキュリティが不安」「どの業務に使うのか」と会議で質問が出て、持ち帰りになる
  5. 3か月後、同じ資料が再提出される。決裁者はまだAIを触っていない
  6. 半年後、「様子見」で自然消滅する

この流れのどこにも、担当者の落ち度はありません。むしろ真面目に検討した結果として、この形になります。4の質問に答えられるのは経営者だけなのに、答えを持たないまま担当者に差し戻しているのが原因です。

裏を返せば、止まっている会社が動き出すきっかけも1つです。経営者が自分で使い始めて、「この業務でやる」「ここまでは人が確認する」と言い切ること。それだけで、5と6は起きなくなります。

「AI推進担当」を置くこと自体は悪くない

誤解のないように書くと、担当者を置くのは有効です。問題は、決裁者が触っていない状態で担当者に丸投げすることです。

役割を分けるとこうなります。経営者が決めるのは「どの業務を対象にするか」「どこまでの誤りを許容するか」「誰が責任を持つか」。担当者が担うのは「どのツールを使うか」「どう設定するか」「どう教えるか」。前者を担当者に渡すと、必ず会議で差し戻されます。決める権限がないからです。

この分担が成立していれば、担当者は迷わず進められます。逆に、経営者が3点を決めずに「いい感じにやっておいて」と渡すのが、最も止まりやすい形です。

「詳しい人に任せる」がなぜ失敗するのか

IT導入の常識では、詳しい担当者に任せるのが正解でした。基幹システムの入れ替えも、Web会議の導入も、その方式でうまくいきます。AIだけが違うのは、次の3点です。

  1. 投資の判断基準が既存と違う。 AIツールは1人月数千円から数万円。従来のIT投資の感覚では「高い」が、人件費と比べれば安い。この比較ができるのは経営者だけです
  2. 業務そのものを変えないと効果が出ない。 ツールを配っても、業務の手順が前のままなら時間は減りません。手順の変更は、部門をまたぐ意思決定です
  3. 失敗を許容する範囲を決める必要がある。 AIは必ず間違えます。どこまでの誤りを許容し、どこに人のチェックを残すか。これは責任の分配であり、経営の仕事です

つまり、AIの導入は技術の導入ではなく業務設計と権限配分の変更です。そこに手を付けられる立場の人が使っていなければ、どれだけ現場が頑張っても、変えられる範囲は自分の手元だけで終わります。

中小企業では、この構造がむしろ有利に働く

DeNAやクラシルの話を「規模が違う」と受け取る方が多いので、そこを分けて考えます。

表2 大企業と中小企業で、社長がAIを使う効果の違い

観点

大企業

中小企業

社長が使い始めてから全社に届くまで

階層をまたぐため時間がかかる

数週間で届く

対象業務を決める意思決定

部門調整が必要

社長が名指しで決められる

ツールの契約

情報システム部門の手続き

その日に契約できる

失敗したときの損失

大きい(規模が大きいため)

小さい(月数千円から試せる)

中小企業のほうが、この構造は有利です。社長が使い始めてから会社が変わるまでの距離が、圧倒的に短いからです。大企業のように独自指標を作ったり、大規模な補助制度を設計したりする必要はありません。社長が自分の業務で1か月使い、対象業務を1つ名指しするだけです。それだけで、大企業が制度で解こうとしている問題の大半が片付きます。

逆に言えば、中小企業で止まっているとしたら、原因は規模ではありません。決裁者が触っていないという1点です。

経営者が最初にやるべき3つのこと

難しいことは要りません。順番だけ守ってください。

  1. 自分で有料契約して、最上位モデルを毎日触る。 部下のデモを見るのではなく、自分の仕事で使う。1か月続ければ、投資判断の解像度が変わります(社長が最初に触るAIツールの選び方)
  2. 対象業務を1つ、社長が指名する。 「全社で活用を検討」ではなく「見積作成の下書きを対象にする」と名指しする。決めるのは現場ではありません
  3. 確認工程と責任者を先に決める。 誰がAIの出力を検証し、誤りが出たとき誰が責任を持つか。ここを決めておけば、現場は安心して試せます(AIに任せてはいけない業務の見分け方)

この3つは順番も重要です。1を飛ばして2から始めると、名指しした業務が的外れになります。自分で使っていないと、どの業務がAIに向いているかの見当がつかないからです。実際、「うちはこの業務をAIでやりたい」という相談内容が、1か月使った後にまるごと変わることは珍しくありません。

表3 3つのステップの所要期間と、終わったと判断する基準

ステップ

期間の目安

終わったと判断する基準

1. 社長が最上位モデルを毎日触る

1か月

自分の業務で手直しの時間が減ったと言える

2. 対象業務を1つ名指しする

1日

部署名と業務名で言える(「営業部の提案書作成」)

3. 確認工程と責任者を決める

1日

誤りが出たときの責任者が1人に決まっている

3つとも、新しい部署も予算枠も要りません。要るのは社長の時間だけです。月に10時間ぶんの実作業をAIに置き換えた経験があれば、次の会議で出てくる提案の良し悪しを自分で判断できます。

2と3は、1が終わっていれば1日で決まります。逆に1を飛ばすと、2と3の会議が何週間も続きます。

社長が使うと、なぜ判断が速くなるのか

理屈はシンプルです。AIの実力を知っていると、投資の比較対象が変わります。

AIを触っていない経営者は、数万円のツールを「ソフトウェアの費用」として見ます。既存のITツールと比べるので、高いと感じます。一方、実力を知っている経営者は、同じ費用を「その作業をやっている社員の時間」と比べます。比較の分母が人件費に変わった瞬間、その費用は安く見えます。

だから決裁が速いのです。渋っている経営者は、ケチなのではありません。比較の対象を間違えているだけです。そしてこの比較の切り替えは、資料を読んでも起きません。自分の業務で成果を体感した人にしか起きない変化です。

もう1つあります。触っていない経営者は「何ができないか」も分かりません。だから現場から上がってきた提案の実現可能性を判断できず、「もう少し調べて」と差し戻すことになります。できることとできないことの境界を知っているから、即断できます。AIに限らず、経営判断の速さはいつもここで決まります。

まとめ

DeNAとクラシルの事例で成果を生んでいるのは、AIツールそのものではありません。経営者がAIの実力を自分の手で知っているから、投資判断と業務変更が速いのです。ここが差になっています。

そしてこれは、規模の大きな会社だけの話ではありません。むしろ意思決定が速い中小企業のほうが、この構造は有利に働きます。社長が使い始めてから全社に広がるまでの距離が、圧倒的に短いからです。

最後に、始め方の順序をもう一度書いておきます。制度を作る必要はありません。ツールを選ぶ会議も要りません。社長が有料プランを1つ契約して、自分の仕事で1か月使ってください。それが最初の一歩で、そこを飛ばした施策はどれも同じ場所で止まります。どのツールをどう契約するかは社長が最初に触るAIツールの選び方にまとめました。AIを使って業務の組み立て自体をやり直すという考え方はAXとは|AIでDXをやり直すという意味で説明しています。

まずは自社の現在地を確かめるところから始めてください。AI活用度診断は1分で終わります。経営層向けの導入設計を相談したい方はAI研修・セミナーや無料相談へどうぞ。

※本記事で紹介した他社の取り組みは、各社が公表している情報(2026年8月時点)にもとづく引用であり、AX総合研究所の支援実績ではありません。

参考文献・出典

  1. DeNA南場智子が語る「AI時代の会社経営と成長戦略」全文書き起こし — DeNA(フルスイング・参照 2026-08-24)
  2. 南場会長の大号令で全社員がAI人材化するDeNA、独自の指標でスキル評価 — 日経BP(参照 2026-08-24)
  3. dely、開発者向け新制度「AI First」を導入 月額10万円のAIエージェント利用補助でイノベーションを加速 — クラシル株式会社(PR TIMES・参照 2026-08-24)
  4. 2026年最新「企業の生成AI利用実態調査」管理職1,008名の回答でわかった導入の現状と課題 — CommercePick(参照 2026-08-24)
  5. 生成AI PoC停滞レポート 2026 — FULLFACT(参照 2026-08-24)